※ネタバレを含みます
一番泣けるキャラ
Kanonは1999年に発売されたエロゲーで、CLANNADやヘブバン(多分この辺が一番有名)を生み出したゲームブランド、keyの処女作として知られている。
雪国の地方都市のゆったりした日常描写と、この街で確かに過ごしたはずの子供時代を思い出せない主人公の焦れを演出するような、どこか暗く切ないBGMが生み出す空気感が素晴らしい名作だ。
いわゆる泣きゲーとして扱われることの多い本作に登場する5(+1)人のヒロインの内、個人的に最も泣けるのは沢渡真琴の√だと思う。
シナリオとせずに√と書いたことには理由がある。単純にシナリオだけで言ったら、真琴よりもむしろあゆや栞のシナリオの方が優れているように思えるからだ。序盤も序盤、出会いの瞬間から、文章やCG、BGMにまで巧妙に貼り続けられていた伏線を最終盤で一挙に回収する構成や、舞台の背景とシチュエーションの調和による美しさには卓越したものがある。いたる絵の絶妙な表情差分が一番かわいく活かされ、これもまた伏線のギミックが素晴らしい名雪や、クールな雰囲気とは裏腹のボケキャラによるギャップ萌えが最高の舞のシナリオだって、それらに比べて全く引けを取らない。
ならばなぜ俺は真琴√が一番泣けると断見できるのか?それはとりもなおさず、音楽と演出の素晴らしさによってである。
それではシナリオと音楽、演出の調和について語るため、ここで一度区切り、真琴√のあらすじについて説明しよう。
真琴√の完全ネタバレあらすじ(知ってたら飛ばしていい)
両親の仕事の都合で従姉妹の家で共同生活を始めた相沢祐一(主人公)は、突然現れた少女に因縁を付けられて襲われるが、彼女は極度の空腹によってそのまま倒れてしまう。放っておくこともできず一時的に家に連れ帰られた少女は、記憶喪失で家が分からず、祐一への恨みだけを覚えていた……と語り、同情した家主の秋子の計らいによって居候の身分を与えられる。
沢渡真琴という名前だけををかろうじて思い出した少女は、復讐と称して祐一にイタズラ(寝室にバルサンやネズミ花火を投げ込む、寝ている間に髪を切るなど)を繰り返し、祐一もまた反発し、あしらい、騒がしくも楽しい生活が続く。
そんなある日、生き物の命を軽視しているように思えるほど冷たい、ペットと人間の距離についての真琴の価値観を目の当たりにした祐一は、初めて彼女と本気の口論をする。結果的に家出してしまった真琴を追いかけた祐一がたどり着いたのは、帰る場所がなく丘に佇む真琴が、口論の原因となった猫を大切そうに扱う姿だった。彼女の優しさと寄るべなさを知った祐一は、真琴を居候としてではなく、家族として扱うことを決める。また、この頃から祐一の言葉の端に照れ隠しが見え始め、二人の距離の接近も示唆される。
一月が終わりに近づく中、祐一は学校である少女に声を掛けられる。天野美汐と名乗った彼女は真琴に関心があるようなそぶりを見せるが、真琴の友達になってあげて欲しいという祐一の申し出をなぜか断固拒否するのだった。同じ頃、祐一は夢をきっかけにある事実を思い出す。沢渡真琴という名前は、もともと幼少期の祐一の初恋相手の名前だったこと。胸の内に秘めていたはずのその名前を知っているのは、この街で昔保護していた野良狐だけのはずだということ。真琴の記憶喪失を案じていた祐一は回復の手がかりに興奮するが、彼女は原因不明の体調不良に悩まされ始める。
ある日、家出から連れ帰ってきた時から飼い始めていた猫のぴろがいなくなり、夜遅くまで探し続けていた真琴は熱を出す。その日を境に、字が読めなくなる、手先が動かなくなる、感覚の過敏といった症状は悪化の一途を辿る。
あまりの荒唐無稽さから、そして真琴を普通の女の子として扱うために遠ざけていた可能性に辿り着いた祐一は、彼にそれを示唆した張本人である美汐に会いに行く。真琴こそ、かつて祐一が保護し、懐いてきていながらも手放さざるを得なかったあの野良狐だったのだ。祐一に対する恨みと、「中途半端に人の温もりを知るくらいなら野で生きる方が幸せだ」という思想の原因は明らかになった。では記憶喪失と、真琴を襲う人間性の喪失は?
美汐に言わせれば、それは獣が人に成るという奇跡の代償なのだそうだ。記憶と命の二つを犠牲にして、ただもう一度祐一に会うために、真琴は奇跡を願った。かつて自らの元にもそんな狐が現れたと語る美汐は、祐一の理解者として一つの約束を願う。避けられない死を前にしても、どうか強くあって欲しい。祐一はその言葉によって、自分では思い出せなくなってしまった真琴の願いを、逃げずに受け止めることを決意した。
ありのままを秋子と名雪に打ち明けた祐一は、入院するはずだった真琴を家に引き留めて、最後の時間を手に入れる。家族全員で真琴にせいいっぱいの優しさを与える中で、二月の最初の日、タイムリミットである二度目の発熱が訪れた。真琴が好きだと語っていた春には遠く、それでも最後の願いを叶える為に、祐一は真琴と出会った丘でささやかな結婚式を挙げる。
ずっとそばにいること、家族になることを誓ったことで、人見知りで天邪鬼で、ずっと寂しがっていた真琴は、ようやくその願いを叶えたのだった。
真琴が去り、時が流れて春が訪れる。失踪していたぴろは帰ってきて、祐一も約束通り強く生き続けていた。そんな彼に美汐はこう問う。「もし奇跡が起こるのなら、相沢さんなら何をお願いしますか?」
場面は二人が出会い、そして永遠を誓ったあの丘に移る。春の陽気に包まれ、緑をなしているその場所では、真琴が穏やかに眠り、傍には生を象徴するかのようにぴろが丸まっているのだった。
BGMが作る感動
Kanonのシナリオは企画、あゆ、名雪、栞√を担当する久弥直樹と、舞、真琴√を担当する麻枝准の二人によって制作されており、そのうち麻枝准(今語っている真琴√の作者だ)は音楽スタッフも兼任している。
麻枝准は具体的には、OP「Last Regrets」の作詞作曲、ED「風のたどり着く場所」の作詞、劇伴「冬の花火」、「残光」の作曲を行なったという。全員分の要素が詰め込まれてるように思えるLast Regretsを除いて、これらの音楽は全て、真琴√のために作られた側面があるのではないかと考える。
順に説明していこう。
冬の花火という題名は、真琴√終盤のある場面を表している。かつてネズミ花火のイタズラを咎められた真琴が苦し紛れに口にした「(祐一に対する復讐ではなく)花火がやりたかった」という言い訳を思い出した秋子の提案によって、家族は季節外れの花火を楽しむのだ。このような描写が存在するのは真琴√だけであり、題名からしてこの一場面のための曲であることは明らかだ。
どこか線香花火を思わせる繰り返しのフレーズと、あたたかで穏やかで、されど物悲しい主旋律。本編シナリオにおいては数行の地の文で表されるに過ぎない情景が、BGMの力によって圧倒的な叙情性と共に立ち現れては来ないだろうか?
残光
残光とは日没後の僅かな時間にだけ見られる夕焼けのことだ。日が没してから辺りが暗くなるまでの最後の猶予を象徴する残光は、真琴√の中では結婚式のシーンで流れる。「そろそろ始めるか」〜「俺達の結婚式だ」というセリフから、風にそよぐベールを手で押さえる真琴のCGが表示されると同時に流れ出すイントロは圧巻の一言であり、ここに至るまで流れていた「冬の花火」とは全く異なるバラードの曲調が想起させる『終わり』への意識が、暴力的なまでの力強さを持ってプレイヤーを泣かせにかかるのだ。
長く続いた悲しい描写が終わり、その最後に「残光」の美しい高音の中で表示される「すべては報われただろうか」の一文がもたらすカタルシスたるや!
真琴の結婚式は夕焼けの中で行われており、この場面の後には再び「冬の花火」が───夜のための曲が流れる。
これを以て「残光」は真琴のための曲だ!と断言することは、真琴√と同じく麻枝准が書いた舞√のクライマックス、麦畑の場面も夕焼けであるため出来ない。だが、どちらにせよ麻枝准は、音楽とシナリオとの調和には相当気を配っていたのではないかと思われる。
風の辿り着く場所
KanonのED曲である風の辿り着く場所において麻枝准が担当したのは作詞であるため曲についての考察はしない。(大好きな曲。奇跡が起こり、ハッピーエンドを迎えて重苦しい冬のイメージが一気に塗り替わるカタルシスが最高。イントロだけで泣ける)
この曲に一貫して流れているテーマは、『奇跡の普遍性』である。サビで歌われるように、「世界中にはどんな想いも叶う日が来る」「世界中溢れる想いに風が向いてる」のであり、奇跡の足音は「木々の声や日々のざわめき」(日常パートにおいて使用されるBGMの題名である)に似たものなのだ。
ビジュアルファンブックによれば、久弥直樹手掛ける栞、名雪に訪れた奇跡の原因は、あゆというただ一人の存在に集約される。対して麻枝准手掛ける舞の起こす奇跡は、本人の超能力によるものだし、真琴の奇跡は、彼女の想いによって代償と引き換えに起こったものである。さらに言うならば、二人の奇跡は一度ならず二度も起こる。舞は母親の命を救い、自らの命も救った。真琴は人の身になり、そして春になれば再び祐一と出会う。
こういった奇跡がありふれているというファンタジー、おとぎばなし的な世界観のもと作詞された「風の辿り着く場所」では、「明日の出会いさえ気づかずにいる」「小さな精たち舞い降りる」「出会った場所も緑をなして」など、真琴√において使われた印象的なフレーズや、エンディングを示唆するような言葉が散りばめられている。
このように曲の意味を知り尽くした麻枝准が書くからこそ、この曲が流れる真琴√のラストはKanon全体を通して最も泣けるシーンになるのだ。
最高のエンディング
Kanonの最終盤は、クライマックス→エンディング→エピローグ→風の辿り着く場所(→Litlle Fragment)の流れになっている。
クライマックスで一件落着、エンディングではムービーでのヒロイン視点の回想、エピローグでは後日譚とハッピーエンドの象徴的なCGが与えられて操作不可能、ゲームクリアとなる。
真琴√以外での全てのエピローグにはヒロインが登場し、奇跡が起こったことが明示される。ここで流れるBGMである、「風の辿り着く場所」のオルゴールアレンジの「生まれたての風」は、奇跡を祝福する役割を持つ。
だが、真琴√においてエピローグに登場するのは真琴本人ではなく、言葉を選ばずに言えば狂言回しの役を与えられていたに過ぎない美汐である。エピローグ時点では主人公は日常に戻っただけであり、奇跡は与えられていない。「生まれたての風」は奇跡の存在を露わにせず、ただ希望を示唆するだけだ。『めでたしめでたし』の結論が与えられないことによって、だからこそ美汐が「相沢さんなら何をお願いしますか?」と口にした時、初めて見えた奇跡の気配にプレイヤーは身を釣り込まれる。
そして、奇跡は最後に起こる。「風の辿り着く場所」のイントロと同時に、両手を広げて眠る真琴のCGが初めて表示される。すべてが報われたことが示され、その勢いのままに「世界中どんな想いも叶う日が来る」と高らかに希望を歌いあげるエンディングテーマに突入する。一連の流れの澱みなさが、一息つくべきエピローグのタイミングでそれを禁じ、クライマックスをも超えるカタルシスをもたらす技法が、真琴√のラストを最高のものにするのだ。
でもそういう理屈捏ね回さなくてもガチで泣けるシナリオだよね
はい。ガチで泣ける。
個人的に真琴のシナリオの一番特別な部分は、彼女の奇跡の代償が命と『記憶』だというところだと思う。
Kanonにおいて栞以外の全てのヒロインは、祐一の過去が原因で問題が発生している。祐一は過去の記憶を取り戻し、その贖罪を行わなくてはならない。それは真琴も例外ではないのだが、彼女は記憶を自ら捨てているせいで、祐一が記憶を取り戻したところで、罪を赦すことが出来ないのだ。
二人の間には共通の記憶がない。もちろん血の繋がりもないし、最終的には言葉による意思疎通すらできなくなってしまう。それでもかつて二人に確かに存在していた、そして再び手に入れた大好きな気持ちだけは失われずに、ただ、その想いのみによって、二人は本物の家族になる。
何もなくとも、精一杯の優しさで気持ちが伝わると信じた。その結果奇跡は起こる。この上なく単純で、美しい物語なのだ。